四境戦争について両親といろいろと話していたら、僧月性(そうげっしょう)の話になりました。
月性とは
月性は、周防国遠崎(現山口県柳井市遠崎)に文化14年に生まれた。詩人として、また、海防僧として業績を残した人物である。天保2年から4年余り、福岡県豊前市の恒遠醒窓の元で詩文を学び、優れた詩人としての基礎を作った。天保14年には有名な「男児立志の詩」を作った。その他多くの傑作を残し、その詩は千編を越すといわれる。嘉永元年には、清狂草堂を開塾した。遠近より入塾を希望する若者が集まり、明治維新に活躍する多くの人物を輩出した。月性は尊王攘夷・海防の急を説いた。月性が海防僧といわれる所以である。月性の海防護国の主張に共鳴した人物も多く、その講説は防長二州の全域にわたった。吉田松陰とも交流があり、松陰は自分の塾生に月性の講演を聴講させたこともあった。安政5年、病のため、42歳でその生涯を閉じた。 (ネットより引用)
柳井方面へ出かける際に「僧月性の碑」というのをたびたび見かけ、そういう人がいるということは知っていたのですが実際どのようなことをした人なのかということは知りませんでした。
今回両親と話をしていろいろと知ることができ、中でも月性の読んだ詩
男児志を立てて郷関を出づ 学若し成る無くんば復還らず 骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地 人間到る處青山有り
これは「男子が一たび志を立てて故郷を後にしたからは所期の目的が貫徹できない以上二度と郷里の土を踏まない。骨を埋めるに必ずしも古里の地を期すべきでない。世間には何処にでも青山(墓地)がある。」そんな意味らしいです。両親ともにこの詩を暗記しており、その意味まで教えてくれました。
学校で習ったということらしいですが、なるほど深い内容だなーと感心しきりでした。
自分が知らないだけで身近にはいろいろなものがあり、そこから学ぶことも多いなーと改めて感じました。今度時間を作って月性の足跡を調べてみたいと思います。