そういうわけでヨーロッパのサッカーに深い興味を持ち、各リーグの情報などを主に雑誌から得ていたのですが、ちょうどそのころ日本サッカー界に大きな事件がありました。
1993年の「ドーハの悲劇」です。ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選、最終戦のイラク戦で勝利すればワールドカップ初出場の決まる日本は、2-1リードで迎えた後半ロスタイム、相手のコーナーキックからまさかの失点で同点に追いつかれてしまい。ワールドカップ初出場は夢と消えました。
ただ、正直日本代表にそれほど興味の無い非国民でしたので(笑)周りが盛り上がるのを横目に、スペイン代表、そしてユーゴスラビア代表に興味津々でした。早々に本選出場を決めたスペイン代表に対して、ユーゴスラビア代表は実はこの時すでにありませんでした。
1990年代から始まったいわゆるユーゴ内戦で、それまで1つの国だったチームはこの後
・ユーゴスラビア代表
・クロアチア代表
・スロベニア代表
・ボスニア・ヘルツェゴビナ代表
・マケドニア共和国代表
これだけの国に分かれてしまいました。そして92年に開かれたヨーロッパ選手権では「ユーゴスラビア代表」としてのプレーを拒否する選手が出始めます。
スロベニアやクロアチアの選手は様々な事情からユーゴ代表でのプレーをせず、そして迎えた92年ヨーロッパ選手権で最後にして最大の悲劇が起きました
・国際サッカー連盟及び欧州サッカー連盟は国際連合のユーゴスラビア(実質的にはセルビアとモンテネグロ)への制裁を受け入れ、全ての国際試合からユーゴスラビア代表を締め出す決定をしました。
・ユーゴスラビア代表はユーロ92への出場資格がないので、直ちにスウェーデンから出国する事が通達されます。そしてこれは強制措置でした。
・大会開催国のスウェーデン政府は、人道目的による措置を除き、ユーゴスラビア代表スタッフ・選手その他関係者一切の入国を許可しない旨通達します。
・五輪メダル5個獲得、ワールドカップトーナメント進出4回、ユーロ準優勝2回。栄光のユーゴスラビア代表の終焉は、スウェーデンのアーランダ国際空港通関ロビーの片隅で訪れました。
・このユーロ92はユーゴスラビアの代わりに出場したデンマークがフランス、イングランド、オランダ、ドイツを撃破し、タイトルを手にしました。
デンマーク代表の優勝という何とも皮肉な結果で終わったこの大会を最後にユーゴスラビア代表の歴史はここで終わったのです。
ちょうどこの時期大学で西洋史を先行していてバルカンの歴史にも深い興味を持っていたので様々な文献等読みましたが、ユーゴスラビアの歴史は本当に民族・歴史・人種等様々入り組んでいて理解しようにもしきれないくらいの複雑な要素が絡み合っていました。
当然1994年アメリカ大会にはユーゴ代表は出れず、1998年フランス大会には何とか復帰でき本選にも出場できたのですが、そこにいたユーゴスラビア代表は過去のユーゴ代表ではなく中身は「セルビア・モンテネグロ代表」となっていました。
それでも98年大会は予選を2位で突破し、決勝トーナメント1回戦でオランダに敗れたもののユーゴはまだここにいる!という存在感を見事に見せてくれました。
しかし、2002年の日韓大会は予選で敗退してしまい、2006年のワールドカップドイツ大会直前の、5月21日にモンテネグロの独立の可否を問う国民投票が成立し、欧州連合が設定した独立を認める基準を達成しました。
さらにワールドカップ開幕まで1週間をきった6月3日にはモンテネグロが独立を宣言し、この独立をセルビアが平和的に承認、EUも国際承認を行ったためモンテネグロの独立が確定しました。
但しドイツ大会には既に「セルビア・モンテネグロ代表」でエントリしてしまっていたため、既に存在しない国家「「セルビア・モンテネグロ代表」として出場する事になりました。
又、前回出場した98年大会では「ユーゴスラビア代表」でエントリしていたため「セルビア・モンテネグロ代表」と言う名前で本大会に出場するのは、2006年のドイツ大会が最初で最後の大会となりました。
このブログを始めたくらいに私がアップしたこの写真
![3719200.jpg]()
2006年ドイツ大会の時、私は仕事の関係で大阪に住んでいて大阪の社宅からセルビア・モンテネグロ代表のアウェイのユニフォーム、それも10番D・スタンコビッチ選手のユニフォームを着てサッカーを見ていました。
しかし、この大会直前のドタバタ等あったせいか全くいいところなしでセルビア・モンテネグロ代表は姿を消しました。
そしてこの大会以降は「セルビア代表」と「モンテネグロ代表」に分かれてしまったのです。
2010年南アフリカ大会ではセルビア代表が見事ワールドカップ出場を決めましたが、グループリーグで敗退してしまいました。
この2010年大会が私がサッカーファンをやめた大きな転機だと思っています。
その1つがもうユーゴスラビア代表というチームはいないし、現れることもないだろうという悲しみです。ボールをまるでおもちゃのように扱い相手チームを翻弄する華麗なサッカーを見せてくれたユーゴ代表はもう無いんだという現実でした。
そしてもう1つはこの大会で優勝したチームのことなのですが、それは③でお話したいと思います。